2015年




ーーー6/2−−− 東京の展示会を終えて


 
東京新宿での展示会。軽トラの荷台に展示品を満載し、家内と二人で出掛けた6泊7日の旅。会期を終え、昨晩無事に穂高へ帰り着いた。

 展示会と言うものは、とかくその成果について、過大な期待をするものである。なにしろ、準備に結構な時間と労力が掛かる。予定が立ったとき、今回は一年前だったが、その時からいろいろ思いをめぐらし、その事を考えると気が休まらない。いっそのこと、展示会など無ければよいと思うくらいである。二ヶ月前からは、日々の仕事が展示会モードになる。展示品の製作やら、案内状の製作やら、そして関係方面への告知、輸送会社の手配など、様々な業務に追われる。スタッフは、居ない。家内に手伝ってもらうこともあるが、基本的には全てを私自身でやらねばならない。そのように、傾注せざるを得ない部分があるので、当然のようにして大きな成果を求めてしまうのである。

 過大な期待が叶うことは無い。これは、良く聞く言葉である。だからベテランは、過大な期待などしない。私は、展示会に関しては、まだベテランの域に達していないのだろう。だから過大な期待をし、がっかりする。

 しかし、思った通りに事が運ばない反面、思いがけない展開があるというのも、展示会のようなイベントに付き物の事である。まるで人生の縮図のようである。人生も、とかく思い通りには運ばない。努力をしても、報われない事の方が多い。それに対して不満を感じ、不平ばかりを述べがちになる。そのようにしていると、見落としてしまいがちだが、しかしながら、思いがけないところで、幸せは与えられているのである。

 今回の展示会も、過剰な期待は裏切られた。しかし、冷静で物の分かった第三者が見れば、全く問題無く成功した展示会だと言えるだろう。ビジネス的には、十分に黒字となった。それとは別に、来場者の反応に励まされた。初対面のお客様どうしの交流も生まれて、楽しかった。多くの来場者を迎えても、これといった反応が無い展示会もある。そういう展示会のむなしさは、また格別である。今回は、来場者は予想より少なかったが、お客様のレベルは高かった。量より質という概念は、私の仕事に付き物のようである。

 このように、実質的に成功裏に終わったというのも、ひとえに多くの方々の好意と援助によるものだった。本人の努力でどうにかなる程度の物ではない、巡り合わせの妙、人間関係の幸運に支えられた。力を貸して下さった全ての方々に、感謝の意を表したい。

 ところで、展示会終了直後に、ある方から言われた。イベントというものは、初めての人に多数来て貰うのは難しいし、その一方で、リピーターを多数集めるのも、簡単な事ではない。漫然と開催していては、来場者が減るのは必至であり、ひいてはビジネス的な成果も低下する。イベントを開催するに当たっては、その目的をきちんと定め、その目的が叶うよう、出来る限りの工夫をしなければならない。それは、日々の仕事の中でも、常に考えるべき事である、と。

 作り手は、努力を重ねて品質の高い作品を生み出し、それを出品すれば良い展示会になると考えがちだ。しかしそれは、えてして自己中心的な考えに陥ってしまう。訴えかける相手は世間なのだから、いろいろな視点で捉え、計画をする事が大切なのだろう。

 今回はたまたま幸運に恵まれたと考えるくらいが、ちょうど良いのかも知れない。不必要なまでに自分を追い込む事は、私の柄では無いが、仕事である以上、安易に流れるのは戒めなければならない。過大な期待が叶う事は無いにしても、少しでもそれに近づくことが出来るよう、出来る限りの事はやらねばならない。
 



ーーー6/9−−− 川にドボン


 
4月の末のある日の朝、近くの林へコシアブラを採りに行った。昨年の夏に、地域の仲間に誘われて、スガレ追いをやりにいった場所である。スガレ追いは失敗に終わったが、コシアブラがたくさん生えているのを確認した。私が知る限り、この地域の野山にコシアブラを見る事はほとんど無い。これは思いがけない発見だった。来春は、タイミングを見計らって、コシアブラを採りに来ようと考えた。それをその日の朝に実行したのである。

 コシアブラというのは、樹木の名称である。春先の新芽は、山菜として食される。独特の風味があって、美味い。天麩羅にするのが一般的だが、ご飯に炊き込んだ「コシアブラ飯」も絶品である。

 急に思い立って出掛けたので、時刻は8時を回っていた。現場に着いて探し回ると、コシアブラの木はいくつも有ったが、新芽はほとんど採られた後だった。専門家は、もっとずっと早い時間に出動するのだろう。それでも、二握りくらいの収穫はあった。

 自宅に戻って家内に見せたら、この量では、天麩羅なら良いけれど、ご飯にするのは無理だと言われた。それで、欲が出た。川向こうの別荘地の林の中に、たしかコシアブラの木が2、3本有ったはずだ。それを見に行こうと思い立った。

 その場所へ行くには、林の中の小川を越えなければならない。橋は、数百メートル離れた所に有るが、そこまで行くのは面倒だ。朝からの状況からして、「急がねば」という心理状態もあった。林の中を突っ切り、小川を渡って、対岸に向かうことにした。

 渡渉点には、覚えがあった。これまで何度か、そのポイントで渡ったことがあった。しかし今回は、その場に立ってみると、いささか状況が違っていた。川の水量が多く、いつもより川幅が広いように見えた。そして、いつもなら流れの中にはっきりと露出している岩が、ずいぶん小さく見えた。しかも、岩はしぶきを被って濡れていた。

 若干の不安はあったが、ここまで来て方針を変更するのは、勇気が無いように思えた。そこで、渡渉を実行した。わずかな助走を付けて、エイっと跳び、右足を流れの中の岩に置いた。その瞬間にツルっと滑って、ドボンと川の中に落ちた。浅い川だが、転倒したので、腹まで水に漬かった。慌てて岸に上がろうとした時、左の膝に痛みを覚えた。転倒したときに、川底の岩に打ち付けたようだ。なんとか岸に這い上がったけれど、痛みでしばらく歩けなかった。ずぶ濡れになり、ブルブル震えながら立ちすくむ姿は、我ながら情けなかった。

 しばらくして、ソロソロと歩き出した。橋のあるルートへ向けて、びっこを引きながら、ゆっくりと移動した。途中、お目当てのコシアブラの木が見付かったが、食べられる新芽は無かった。欲をかいた愚かな計画は、何の収穫も無いまま、悲惨な結果だけを残した。県道に出て、橋を渡り、自宅まで歩いた。ずぶ濡れで、びっこを引きながらトボトボと歩く初老の男を、通りかかった人は何と見ただろうか。

 自宅に戻り、服を脱いで見たら、膝の横に大きな赤紫色の打ち身のアザが出来ていた。すぐにシップを貼った。その後二週間ほど、毎日シップを替えた。まともに歩けない状態が続いた。この時期集中的にやるつもりだった裏山登りのトレーニングは、一切不可能となった。

 一ヶ月ほど経ったとき、数人で雑談をする機会があり、この失敗談を話した。愚かな行為をして、大切な裏山登りが出来なくなったと言うと、ある人が「その程度で済んで良かったですよ。膝の皿を割ったりしたら、一大事でした」と言った。なるほど、そう言われてみれば、不幸中の幸いだったかもしれない。またある人は「転倒して脳震盪でも起こしたら、そのまま溺れて死んでしまったかも知れませんよ」と言った。あの小川を、横になったまましずしずと、人知れず流れ落ちていく自分の姿を想像したら、寂しさがこみ上げた。

 自ら種をまいた事とは言え、災難は日常の思いがけないところに潜んでいると、あらためて思い知らされた。さらに別の人は「大竹さんのように、用意周到、沈着冷静そうな人でも、そんな愚かな事をするんですね」と言った。そうなのだ。当然のようにして起こる事故もあるが、思いがけないところ、まさかと思うような所に、危険は存在するのである。今回の事故も、現象としては起こるべくして起きたわけだが、自分の身に降りかかったというのは「まさか」であった。
 



ーーー6/16−−− マレットゴルフ


 
マレットゴルフと聞いてピンと来る人は、ほぼ長野県内に限られているかも知れない。発祥の地は他県だが、一番盛んに行われているのは、長野県とのことである。

 競技はゴルフと似ているが、ボールがずっと大きい。しかもクラブは、木槌(マレット)の柄を長くしたようなもの。ボールが空中を飛ぶことは無く、地面の上を転がすだけ。コースは数十メートルで、長いものはパー5、短いものはパー3、平均するとパー4。

 そのマレットゴルフなるものを初めてやる機会が、昨年の7月にあった。公民館主催のマレットゴルフ大会。館長と言う立場で、役員席に座っているだけではつまらない。どうせなら参加者に混じってプレーをしようと思い立ったのである。

 会場となるマレットゴルフ場は、我が家から車で6〜7分の場所にある、赤松林の中の27ホール。地元の愛好家集団が造成し、維持管理を行っているそうである。入場無料。自由にコースへ入って、プレーをする事が出来る。私は道具を持っていないので、スティックとボールを借りた。これも無料。 

 この年齢になって、生まれて初めて何かをするという事は、あまりない。最初はさすがに緊張した。しかし、笑いと同情を誘うくらいで良いだろうと、腹をくくった。一緒に回る人たちに、迷惑をかける事だけが心配だったが、そういう事態が起きないようなルールになっている。何回打っても入らない場合に備えて、打数の上限が定められているのだ。

 これはなかなか面白い競技だと感じた。下手でも、カーンと打てば、それなりの爽快感がある。初心者でも、まぐれで、思いがけない距離からカップインすることがある。その時の嬉しさは、何とも言えない。そもそも、自然の中でプレーをするから、気分が良い。周囲に広がる田園と山々の景色も、美しくて心が和む。

 結果は、27ホールを回って、30オーバーの138。参加した22人中19番目の成績だった。トップは78歳の男性で、スコアはなんと90。どの世界にも、達人はいるものだ。

 翌年も同じ大会が開催されるから、ちょっと練習することにした。そう思いながらも、夏から秋にかけては、行動を起こせなかった。春になり、シーズンが明けても、もたもたしていた。ようやく5月中旬になって、道具を購入した。ネット・オークションに出ていた、ゲートボール・スティック(500円也)である。マレットゴルフ用のスティックが欲しいところだが、中古品市場にはほとんど出回っていない。ゲートボール用でも使えるということらしいので、それで良しとした。

 スティックが手に入ったので、ある日の早朝、勇んでマレットゴルフ場へ出掛けた。そうしたら、大勢のプレーヤーでごった返していた。こんなに盛んなのかと、驚いた。すっかり気後れして、プレーをせずに、すごすごと引き返した。

 家に戻ってから、いくらなんでもあの混み様はおかしいと考えた。翌朝同じ時刻に出掛けた。そうしたら、誰もいなかった。前日の盛況は、月に一度の大会があったからだったと、場内の掲示板を見て理解した。

 一人でコースを回る。昨年の大会のときは、無我夢中で細かい事は覚えていないが、一人でじっくり取り組むと、色々な事が分かってくる。

 カップは、土饅頭のような丘のてっぺんに掘られていたりする。そういうケースでは、ボールを外すとコロコロと転がり落ちて、かえって遠くなる。意地悪く作られているのだ。そういうホールは、とても厳しい。闇雲に打っては、それこそ何回やっても入らない。どうやら、いったん土饅頭の上に載せ、最後のパットを決めるというのが、正攻法のようである。しかし、上手く載せるのも簡単ではない。しかも、ボールが上で止る土饅頭と、そうでないものがある。その見極めをしなければならない。ともかく、地形を読むのが、とても重要なのだ。

 たった一人で黙々と回っていたら、はるか前にテレビで見た、あるシーンを思い出した。イギリスの、海が見える片田舎のゴルフ場。男が一人でプレーをしていた。風が強く、厳しそうなコンディション。しかし男は、キャディーも無しで、黙々とホールを回る。この孤独感と、現場の荒く暗い雰囲気は、日本のゴルフとはずいぶん異なる印象を受けた。そこでナレーションが流れた

「この状況が、イギリスでは普通に見られるゴルフのスタイルです。ゴルフ発祥の地では、自然の中での自分との対話が、ゴルフの楽しみ方のひとつなのです」
 



ーーー6/23−−− 工房訪問


 昨年秋のグループ展で知り合った木工作家北原昭一氏。伝統工芸展に何度も入選している、大家である。その作品の素晴らしさに惚れ惚れし、一度工房をお訪ねしたいとお願いしたら、どうぞいらっしゃいとのご返事を頂いた。

 実は、展示会の場で、既にご指導を賜った。氏の作品の一部を飾る象嵌細工について、私が興味を示したのを見て、「象嵌は面白いですよ」と言われた。そして、技術的なことを色々教えて下さった。さらに、使う道具や資材についても、具体的なアドバイスを頂いた。それがきっかけで、象嵌細工に手を染めるようになった。さらに、漆にも手を出した。

 名人から手ほどきを受けて始めたのだから、恵まれたスタートだった。しかし、象嵌も漆も、なかなか思うように進まなかった。二三度、メールやお電話で問い合わせをした。丁寧にお答え頂いたが、やはり言葉による説明には限界があった。

 こちらの都合、あちらの都合で、なかなかお訪ねする予定が立たなかったが、ここへ来てようやく実現した。家内を伴って、車で出掛けた。氏のご自宅と工房は、山の中にあった。工房は驚くほど質素だった。いわゆる木工所の機械は、ボール盤と轆轤しか無かった。あのように素晴らしい作品の数々が、このような場所で生み出されて来たのかと思うと、不思議な気がするくらいだった。その事を口にすると、「街中の連中は、もっと狭い場所でやっているよ」と氏は言われた。

 矢継ぎ早に、いろいろ教えて下さった。象嵌は、実演を交えて説明をして頂いた。私の訪問に備えて、わざわざ作品を途中まで作ったそうである。漆塗りの作業場にも案内して頂いた。ここも狭かった。工程の説明をして頂き、使う資材についても、具体的に示して頂いた。これでもか、というほど多岐に渡ってご指導を下さった。

 やはり、お会いして、現物を見ながら、作業を拝見しながら、説明を伺うと、理解の進み方が全く違う。私の質問に答えて頂くときも、話される表情から、大事なことと、そうでないことの区別がはっきりと伝わってくる。面会してお話を聞くということは、とても大事な事なのだと、あらためて感じた。

 ご指導の時間が一通り終わってから、ご自宅の部屋で、作品を拝見した。私はグループ展で拝見したことがあるが、家内は始めてである。伝統工芸展の入選作品を、制作者ご本人の説明を聞きながら、手にとって眺めるなどという機会は、滅多に無い。

 息を呑むような素晴らしさである。端正かつ豊かなフォルム。優しく、穏やかで、暖かな印象。完璧に行き届いた細工。一点の曇りも無い仕上げ。漆の深い輝き。私の仕事柄、家内は比較的木工品を見慣れているはずだが、さすがに驚きを隠せない様子だった。

 小皿を一枚購入した。家内が「我が家でも買える金額の物を・・・」と申し出たら、「それならこれが良いでしょう」とタンスの奥から出してくれた。今回の訪問の、良い記念の品となるだろう。

 滞在した3時間ほどは、とても有意義で楽しかった。全くレベルが違うとはいえ、物作りをしている者どうしは、ツボに触れれば響くものがある。実際に仕事をする中で経験した物は、両者を結びつけ、共感をもたらす。それを感じた瞬間は、何とも言えないくらい素晴らしい。特に、氏のようにハイレベルな方と、一つの世界を共有できるのは、震えるほど感動的であった。私は、この仕事に携わっている喜びと幸せを、しみじみと感じた。  








ーーー6/30−−− 受難のカメラ


 だいぶ前の事だが、息子からカメラを貰った。デジタル一眼レフ、ペンタックスK-01。世界的デザイナーを起用して開発した商品だが、評判が芳しくなく、短期間で生産中止に追い込まれたもの。しかし、写りは良いとの噂もある。とにかく、見るからに安っぽい、変なカメラ。それが私の手元に転がり込んできたのは、息子が友人からもっと高級なカメラを貰ったからだった。

 その一眼レフは、入手してから放ったらかしになっていた。貰い物というのは、えてしてこういう運命にある。毎日のブログに載せる画像は、それまで通りコンデジ(コンパクト・デジカメ)で撮っていた。ちょい仕事に使うには、軽量、コンパクトなカメラのほうが便利だからである。一眼レフを、画質を求められる製品撮影に使ったことはあった。写りは格段に良かった。しかし、日々の撮影では、そこまでする必要が無い。というわけで、放ったらかしになっていた。

 ある時息子から「使わないのは勿体無い」と言われた。このまま放っておくと、引き上げられそうな雰囲気になってきた。そこで、意を決して使うことにした。コンデジの方に、次第にノイズが目立ち始めたので、良いタイミングだとも思った。

 使い始めれば、次第に慣れてくる。写りの良さはもちろんだが、操作性も細かい点で優れていることに気が付いた。工房での撮影は、もっぱら一眼レフを使うようになった。しかし、しばらくして、問題点が生じた。落下防止のためにネックストラップを付けているのだが、三脚にセットして使う際は、逆にネックストラップが絡まって、カメラを落下させてしまう恐れを感じたのである。

 そこで、コンデジで使ってきた根付に替えることにした。大き目の根付なので、指に挟めば十分に落下防止の効果が、コンデジの場合はあった。はるかに大きく、重量がある一眼レフでもそれが機能するかどうか、慎重にテストをした。その結果、使えるとの判断をした。ネックストラップを外し、根付に取り換えた。長い紐が無くなったので、使用感は良くなった。

 ある日の朝、たまたま居室で一眼レフを手にしていたら、家内が目の前にいた。私は、新たに導入した根付による落下防止機能を、家内に見せようと思い付いた。「こんなふうに改善したんだよ」と言いながら、わざとカメラを手から離したら、止まるはずの根付が指の間をすり抜けた。カメラは落下し、ドンという大きな音を立てて、床に激突した。一瞬にして、とても気まずい雰囲気になった。家内の冷ややかな視線を感じながら、カメラを拾い上げ、破損していないか調べた。動作に関しては問題無さそうだったが、液晶ディスプレイにバーコードのようなノイズが出るようになった。

 この事件の原因を分析したところ、朝、気温が低く、手がかじかんでいて、しかも乾いていたために、根付が指の又から滑り落ちたのだという結論に達した。しかし、真の原因は、やらなくても良い事をわざわざやった点にある。

 バーコード状のノイズが出たのは不快だったが、動作は問題無かったので、そのまま毎日使い続けた。ところがしばらくして、さらにひどい事故が起こった。

 いつも通り三脚にセットして使っていたのだが、カメラを固定したヘッドが三脚本体から外れて、カメラごと落下したのである。この時は、レンズが根元から折れて、ボディーから分離してしまった。これほど明瞭なダメージは無いというくらいの光景だった。

 原因は、ヘッドが三脚本体にねじ込み式になっているのだが、それが緩む方向に回り、外れてしまったのだった。しごく当然な、しかしあってはならないような現象である。そのネジが、やけに短かかったのが悔やまれた。

 さらに調べてみたら、ヘッドが回らないよう固定するための、ボルトをねじ込むためと思われる穴が見つかった。ところが、ボルトは付いていない。この三脚は十数年前に、知り合いの写真家から貰った物である。イタリア製の、しっかりした、プロ仕様の製品であるが、出荷する際にボルトを付け忘れたのだろうか?

 レンズのマウントが破断するというのも信じられないような事だが、ボディーに付属して販売しているレンズ・キットの場合、プラスチック・マウントなのである。だから壊れるのも無理は無い。

 かくしてついに、一眼レフは使えなくなった。いや、固定焦点の交換レンズはあるので、撮影できないことはないが、工房内での撮影は、ズームレンズでなければ具合が悪い。またしても放ったらかし状態となった。工房では、コンデジが復帰した。

 しかし、いったん性能が良い機械に慣れてしまうと、レベルの低い物はどうしても使い難い。だんだん不満がつのってきた。そこでまた意を決して、壊れたズームレンズと同じもの、ただし金属マウントのものを、ネット・オークションで購入した。送られてきたレンズには、花型のフードが付属していた。それがなんだか嬉しかった。

 どういうわけか、ディスプレイのバーコード状のノイズは、いつの間にか消えて無くなった。カメラにも自然治癒能力があるのだろうか?

 新しいレンズを取り付けて、すっかりこの一眼レフが気に入った。いろいろな試練を乗り越えたことにより、愛着が湧いたのか。いややはり、自分の金を使わないと、気持ちが入らないものなのだろう。

 さて、また三脚から落ちたら叶わない。金物屋でネジ穴に合うボルトを買ってきて、取り付けた。3本のボルトを、ギュッと締め付けた。これでもう、ヘッドが不用意に回転することは無い。

 一方、最終的に落下防止の仕掛けはどうなったかと言うと、ハンドストラップを取り付けることにした。専用のものを購入するのも面倒なので、携帯ストラップで代用した。輪になっているから、手から外れる可能性は、極めて低い。細くて強度にいささかの不安を感じるが、たぶん大丈夫だと思う。しかし、家内の前で試してみる事は、もうしない。
 







→Topへもどる